三菱ジープの軌跡.その7
永遠なるジープ
’80年代に入ると、ジープはその生産台数を急激に減少させていく。特に、1982(昭和57)年のパジェロの登場を境に、年間生産台数は一気に2,000台前後に落ち込んでいった。
まず、1980(昭和55)年には、それまでの4G53型ガソリンがG54B型にリニューアルされ、J56はJ57に、J26(H)はJ27(H)に、J46はJ47に、そして翌年には、J58がJ59に、J38がJ37に、それぞれ代替わりする。
しかし、新世代の4×4:パジェロのデビューを機に、1982(昭和57)年にはJ20(H)系とJ47が、そして翌年にはJ30系とJ44が生産に終止符を打たれた。つまり、ここでJ50系以外の全ての民間型ジープが、その姿を消したことになる。
1984(昭和59)年に行われた三菱自動車工業(株)と三菱自動車販売(株)の統合後、生き残ったJ50系も、1986(昭和61)年にはガソリン車(J57/J59)が生産中止となり、ディーゼル車のJ54は、新型のディーゼルターボ・エンジンの4DR6型を搭載するJ53へとバトンタッチされた。
そして、1990年代。ジープは、ついに最後の階段を上り始める。1993(平成5)年12月に施行された自動車NOx法に対応して開発された、改良型4DR5(インタークーラー・ターボ)ディーゼルを搭載するJ55が、それまでのJ53に代わって登場。自動車NOx法の施行で姿を消すと思われていたジープの続投に、ファンは胸を撫で下ろした。
1995(平成7)年に、ジープの生産委託会社である(株)東洋工機がパジェロ製造(株)と社名を改め、いよいよジープの最期を予感させたのも束の間、1998(平成10)年、三菱ジープは最終生産記念車の生産を最後に、46年という長い歴史の幕を閉じる。