三菱ジープの軌跡.その5

地盤固めの’60年代
三菱ジープにとっての1960年代は、言うなれば「地盤固めの時代」であった。1962(昭和37)年までには、J50系の前身となったJ3R、J20、J30、そしてJ40系の前身となったJ32等がデビューしており、ガソリン/ディーゼル、ショート/ミドル/ロング、そしてキャンバストップ/ハードトップといった、後のジープ・シリーズのバリエーションの基本車型が、この時すでに全て出揃っていた。

J30
より多くの人員と荷物を積載できるよう、J30が発売された。CJ3B-Jは2ドアだったが、利便性を高めるために、J30は4ドア化(初期型を除く)された。

一方、体制的には、1964(昭和39)年、三菱三重工(三菱日本重工業(株)、新三菱重工業(株)、三菱造船(株))が15年ぶりに合併し、新会社:三菱重工業(株)が発足している。
合併前の国内販売については、三菱日本重工業(株)が生産するふそうトラック、バス等は三菱ふそう自動車(株)が、そして、新三菱重工業(株)が生産する乗用車や軽自動車、ジープを含む小・中型トラック、バス等は新三菱自動車販売(株)が、それぞれの総販売元となっていた。そして、三重工合併により、生産部門が自動車事業部として統合されたことに対応して、この二社も合併し、軽自動車から大型トラックまでを扱う販売会社「三菱自動車販売(株)」となった。
この後、1967(昭和42)年6月に、ジープの生産は(株)東洋工機に全面委託される。