三菱ジープの軌跡.その6

三菱ジープ黄金時代
’60年代を三菱ジープ“搖籃期”とするなら、’70年代は“全盛期”であり、ジープは正に黄金時代を迎える。
1970(昭和45)年4月に、三菱重工業(株)から自動車事業部が分離、独立し、現・三菱自動車工業(株)が設立された頃から、ジープ・ラインナップの拡充は一気に加速していく。
J20-Xサス
1970年に完成したJ20-X型試作車には、トーションバー式ダブルウィッシュボーンフロントサスと、コイルスプリング式セミトレーリングアームリアサス、そして4輪ディスクブレーキまでもが装着されていた。またディファレンシャルケースは、ブッシュを使った4点弾力支持方式と凝ったものだった。
まず、新会社発足の年、1970(昭和45)年には、JH4型ガソリンから代替わりしたKE47型を搭載するJ34、そしてKE31型ディーゼルから4DR5型になったJ54、J24(H)、J44、J36がそれぞれ登場。1973(昭和48)年には、同じくKE47型ガソリンのJ52、J22(H)、J42が発売され、翌年には早くも、新しいガソリンエンジン4G53型を搭載するJ56、J26(H)、J38、J46にモデルチェンジされる。
この時期の三菱ジープ・ファミリーは、エンジンの種類やホイールベースの違い、トップ(幌/ハードトップ)の種類、内装の仕様(セパレート・シートのBタイプ)などから、実に13タイプものバリエーションを誇るまでに成長していたのである。

三菱ジープラインナップ
三菱ジープの黄金期には、何とラインナップで13ものタイプが用意されていた、ユーザーは用途に合ったボディー、エンジン、シートなどを選択することができた。
ラインナップの充実は、“目的別ジープ”の確立を目指すものであったが、主な納入先は、相変わらず官公庁や林業、建設業者が圧倒的だった。三菱ではさらに、個人ユーザー獲得のため、この時期、パーソナル・ユースに適した仕様の開発に力を入れている。1975(昭和50)年8月に追加されたJ58も、そのひとつであった。
このJ58以前のガソリン・ジープは全て、排気量が2リッターを超える1ナンバー登録車であり、税制面や燃費面でも経済的とは言えなかった。ディーゼル車は4ナンバー登録だったが、当時のディーゼル・エンジンは、パワーや静粛性の面で不満も多く、パーソナル・ユースに適したエンジンとは言えなかった。何より、ディーゼルはトラックのイメージが強かったのだ。

J58
パーソナル・ユースに向けて発売されたJ58は、2,000ccエンジンを搭載し、ガソリンジープの小型車登録を実現した。写真は初期型のナロウ・ボディー。

J58には、三菱ジープ初の2リッター・ガソリンの4G52型が搭載され、ウインドシールド・フレームとボディーの色をツートーン・カラーとするなど、個人ユーザーを強く意識した仕様が設定された。
この後、J50系は1977(昭和52)年に、トレッドや全長が拡大され、ワイドボディーとなる。また、エンジンのハイパワー化に合わせて、ギア比の高速化が図られるなど、大きくその内容を変えていった。
’60年代後半から、徐々に生産台数を増やしてきた三菱ジープは、’70年代後半にそのピークを迎える。1979年度の生産台数は、三菱ジープ史上最高の11,660台(防衛庁納入を含む)を記録した。